EXHIBITION:
静岡極東の伊東と熱海の隣町にある二人が絵を通した出会いから始まった。
常に誠実で半端なことが嫌いな山口さんは手作りのアトリエや一部屋ほどもあろうかという石窯でピザ焼をふるまってくれた。全て自身で基から造るというのだ。好きな食はもちろん絵については3m程の大作でも体力に任せて制作し、この人は並の方ではないとつくづく感じた。私の個展開催時には車の事故に見舞われ、具合もまだ悪い中、ご夫妻で約束を守ってきてくれたりと、人柄も誠実で信念に熱い人だった。
もともと建設業で実績を残されたあと、子供の頃からやりたいと思っていた絵描きに転身した山口さんは大学や専門家の指導も受け、地元静岡県の芸術関連の最高賞である「静岡県芸術祭美術部門・芸術祭賞」を受賞、個展も東京、静岡で10回ほど開催。その後、私が関わっている静岡県文化協会傘下の静岡県日本画連盟に参加し、一緒に静岡県の日本画を支えていただいた。
まもなく会の中核である事務局長の大役を担われ手腕を発揮されたりしていたが残念ながら急激なガンの悪化で86歳で亡くなられた。
山口さんが好きな言葉としていた 「芸術家とは才能があることではない。永遠に完璧なものを作れないと理解しながらも完璧を目指し続けるという「マーク・ロスコの言葉」を。
絵に向かう姿勢にもこの心意気を私は感じていた。
この度、沼津市立美術館「モンミュゼ」にて山口育三遺作展を開催できることを私は嬉しく、心から感謝している。
友人 日本画家 松山英雄
2024年4月
探求、挑戦、発明の人でした。
この度、多くの方々の御協力により「山口育三遺作展」を開催することが出来、大変感謝しております。「こんな人だった」の一部でも知って頂きたいと思います。
「3兆ばかりの金が欲しい」
清水港の改修、地下住宅、美術館の建設、東伊豆 西伊豆へのトンネル道路。これらには、詳細な図面が今も押し入れのどこかにあります。
わさび漬、塩作り、石窯の製作と四阿の製作、ガレージ、画室の工夫と絵画を保存する仕切、ピザの研究と実践、ドイツパンやフランスパン。その他、十氏に余る挑戦、試行。今頃はあの世でも「改造!」を唱えているかも! 子供達にも話してよい家庭人ではありませんでしたが、こんな隣人がいたという事を覚えていて下されば幸いです。
妻・山口久美子